スポンサーサイト
--.--.--.-- Posted in スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
ザ・イヤー・マイ・ペアレンツ・ウェント・オン・バケーション (原題) (2006)
Mon.04.08.2008 Posted in 人間ドラマ
0 comments 0 trackbacks
the year my parents went on vacation
原題:O Ano em Que Meus Pais Saíram de Férias

今週は旦那が出張なので、例によって映画三昧ウィークです。

旦那がいないと、ほんと料理しないなー。
いつも義務でやってるんだ、とわかる今日この頃。

お金をかけて外食するのはイヤだし、特にこだわって食べたいものがあるわけではないので、ご飯と漬物でオッケーなんです。
お弁当もおにぎりで。

独身の頃は何をたべてたんだろう?
料理はやっぱ週末しかやらなかったな。


さて、この映画のタイトルは邦題がないらしいので英語にしてありますが、ブラジルの作品で、ちゃんとポルトガル語の題名があって、そちらも上に紹介しました。


両親が左翼活動で軍事政権から逃亡するために、やむなくサン・パウロに住む祖父のところにあずけられることになったマウロは、祖父宅が留守であること、それどころか祖父がその日急死したことも知らずに、アパートの前で両親から別れを告げられる。

「おとなしく待っていなさい。ワールドカップ(サッカー)までには帰るから。一緒に試合を見られるように。」

といわれたマウロは、おじいちゃんを一人待ちわび、夜も更けて隣の老人からおじいちゃんの死を告げられる。

マウロの父方の家族はユダヤ系で、おじいちゃんの住んでいたアパートは帽子に長い髭のオーソドックスの人々が通りを歩きまわる地域。

ユダヤのコミュニティーの結束は固く、老人も若者も子どももみんなお互いに面倒をみるような、家族のような場所なんだね。



隣の老人は、神がもたらした運命、と半ば仕方なくマウロを引き取り面倒を見ることにする。


マウロの両親はマウロにユダヤのことは一切教えなかったし、割礼もしてないので、マウロにとってはユダヤの戒律、生活習慣、コーシャ(食事)は異国のことのよう。


両親から取り残され、他人の世話になり、習慣も食べ物をちがうところで、心細いことこのうえない少年が、生き残りをかけて順応していく様子は、少し『太陽の帝国』を思い出しました。


マウロは面倒見てくれる老人に厳しく接せられて反発するけれど、しらずのうちに祖父のような存在として、慕うようになる。


マウロ役の少年は女の子といっても通じるようなポッチャリ顔で手足が長く、『レオン』の頃のナタリー・ポートマンに似てる気がする。

そして隣のおじいちゃんと仲良くなる様子はにわか孤児になったポートマンと殺し屋レオンかな。


またこの映画でブラジルのほかの地域と同様、ユダヤの地域もワールドカップでのサッカー熱は物凄いことが分かりました。

老若男女みんなサッカーの試合に熱狂する。

そして1970年という年はペレの活躍で、ブラジルがワールドカップで優勝したということも。




クリックありがとう!ランキング参加中!?ここをおしてね→【人気ブログランキング北米 】
スポンサーサイト

« 大災難P・T・A (1987) | Home | キッチンのインプルーブメント »

comments

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

trackback


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

topBack to TOP

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。